山江村の産業

山江村に残る栗に関する最初の記録は、明治8年にさかのぼり、盆地の気候と村の面積の9割を占める山林が栗栽培の好適地であったことで、大正、昭和と生産量を増やしていきます。昭和43年に栗の選果機を導入し生産の拡大、品質維持のための整備を進めた結果、昭和52年、皇室への献上品として山江村の栗が選ばれました。これにより「山江の栗」がブランドとして周知されることとなりました。

その後も増殖・振興を続ける中、平成4年に山江農協が球磨地域農協に合併されたことで山江村の栗は「球磨栗」として出荷されることとなり、「やまえ栗」が市場から消え、ブランドの危機を迎えます。しかし、「やまえ栗まつり」の開催など村づくりの中心に栗を据えた取組を続けたことで、平成20年ごろから「やまえ栗」再ブランド化の動きが始まりました。そして令和6年3月「やまえ栗」は農林水産省のGI(地理的表示)登録商品となり、現在も村の観光・経済を支える特産品として村の誇りとなっています。

昭和14年に万江の渓谷を利用した県の水産試験場として、淡水養魚場が建設されました。この施設では鯉、鱒、ヤマメなど数十万尾の稚魚を放流しましたが、昭和43年、役目を終えて廃止となりました。昭和45年、跡地を取得した山江村は観光施設として川魚料理や回転式そうめん流し、さらにプールを併設した施設をオープンし、大繁盛となりました。

昭和から平成にかけての「ふるさと創生交付金」を活用し、温泉掘削を進めた村は、平成3年に球磨地方初の自治体経営温泉となる「山江温泉健康センター」をオープンしました。約半年で入場者5万人に達するほどの人気施設となり、翌4年に宿泊施設「山江温泉ほたる亭」を建設、その後2回のリニューアルを経て現在「山江温泉ほたる」として村を象徴する観光施設となっています。

平地が少なく焼畑農業で生計を立てていた農家が多かった旧万江村では、相良藩の奨励もあり、和紙の原料となる楮(こうぞ)の生産が盛んでした。東京の相良邸新築の際には、「襖の下貼りに万江紙を使うように」と指示した記録も残っており、「万江紙」を使うことで農地が限られた旧領を案ずる相良家の思いがうかがえます。

「球磨」の由来は「求麻」とされる通り、古くから麻の栽培が盛んな地域でした。江戸時代から特産物として栽培され、特に旧山田村は明治8年に球磨郡全体の約3分の1を栽培する一大産地でした。合併後の昭和以降も軍需用として生産が続けられていましたが、戦後、生産に免許が必要となり、化学繊維の普及により年々生産量は減少し、昭和57年度が山江村の最後の麻生産となりました。